靖国参拝問題に解決の道筋はあるのでしょうか?
「解決」とは、どういう風景のことをさすのかによりましょう。たとえば、
- 毎年、首相が靖国参拝することが年中行事化される。また、参拝形式がより神道色を強めていく。
- それに対する、内外の批判が年ともにうすれていく。
- 今上陛下の靖国御親拝をあおぐ。
という方向への「解決」への道筋の場合があります。
1の場合には、靖国参拝を公言し実行できる首相が、未来永劫、たった一人で首相の座にいすわりつづけることがあり得ない以上、歴代首相の「靖国への思い」が首相交代のたびに取りざたされることになります(すなわち、平成13年7月現在までの状態です)。この場合、「解決」されるかどうかは、ひとえに、その首相の「靖国への思い」というパーソナルなものに左右され、一年一年毎年ごとに注視されるだけという相対的な状況をいつまでたっても脱することはできません。また、昭和60年の中曽根型参拝に留まるか、それよりも一歩踏み出した神道形式をとるか、公費拠出の部分を拡大するか、という点も含めれば、靖国参拝賛成派にとっては、手水場でお清めをやり、内閣総理大臣と記帳し、お祓いも受け、玉串も国費で奉奠し、二礼二拍手一礼もする、というのがよりいっそう解決へと近づいた風景ということになりましょうが、問題点もまた山積していると言わなければなりません。
2の場合は、連立政権下では、首相の靖国参拝にやかましいことを言う政党を除外し、首相の靖国参拝賛成政党だけで連立を長年維持しつづけるか、靖国参拝に思いの強い一政党が単独政権を長年維持しつづけることがまず前提となります。しかしながら、党内で政権が交代したとき、その歴代すべての首相が毎年終戦記念日に同じように靖国参拝をするかどうかは、わかりません。たとえば、昭和61年にも中曽根康弘が靖国参拝を強行し、その後も毎年、内外圧力にも屈せず、歴代首相が靖国参拝しつづけていれば、いまごろどうなっていたかなどという想像は、この2の根底をなすものになりましょう。
3の場合は、いまの状況では、(政治的ゴリ押しは別にして)法的・倫理的にむずかしいかもしれません。国民の側で、きちんと靖国参拝問題に解決の道筋をおつけ申し上げ、海外にも十二分な説明努力を行わないと、却って不敬な政治状況を招くと考えられます。その意味では、靖国存続・参拝賛成側に立ったときには、この
今上陛下の御親拝
と、それに対する内外批判がほとんどない状態というのが、一つの解決の最終風景だと見てよいでしょう。
しかしながら、これとは別の道もあります。
- 千鳥ヶ淵墓苑に靖国神社の英霊を移し、ここを「国立墓苑」とする
- 靖国神社と千鳥ヶ淵墓苑とを統合した新たな国立墓地を作る。
4の場合は、「政教分離」や「A級戦犯合祀」の問題はクリアされますが、当WEB「靖国側資料1」「千鳥ヶ淵側資料1」にあるように、もともとの成り立ちが違うということに加え、生前「靖国で会おう」と互いに誓い合い散華していった英霊のことばに対する後世の人間の倫理という側面もまた絡み、非常にむずかしい道筋だと言えます。
5の場合は、政教の対立を軸に展開された靖国vs千鳥ヶ淵問題をあらたな土俵に移しかえるという意味では、戦後の歴史を踏まえた現在的視点から見て一考に価するかのように思われます。しかし、4の項で述べた後世の人間の倫理に即した場合、それでよいのか、あるいはまた、戦没者関連施設を3つもあわせ持つのはさすがに異常ではないかなどの点を考えても、むずかしい面は否定できません。
靖国神社が一民間宗教法人となったことは、同時に、国がつぶしたいときにつぶすことはできない施設となったということでもあります。つまり、靖国の英霊も千鳥ヶ淵墓苑の仏様も共に吸収し、あらたな国立墓地ができたとしても、靖国神社が別に存在しつづけることは明らかな以上、何のことはない、いまの「靖国vs千鳥ヶ淵」が「靖国vs国立墓地」に変わっただけではないかという議論になるわけです。
- 靖国神社を特殊法人化して、宗教法人から外す。
この方法は、当WEB「靖国側資料4」の靖国神社宮司・松平永芳氏の証言にもあり、平成12年にも野中発言として大々的に新聞ほかに紹介されました。「靖国神社が現在、一民間宗教法人だから政教分離が問題になるのだ。宗教法人でないなら、問題はクリアされる。もともと神道は宗教とは言い難い面も強い。むかしのような官国幣社という考えはいまはできないから、これを祭祀法人とすればよいではないか」----というのがその論理的な流れになっています。
わかりやすく言えば、官僚の天下り先と何かと批判され、平成13年現在、小泉内閣がそのスリム化に努める「特殊法人」の一つに、靖国神社が生まれ変わるというものです。しかし、この案も、靖国神社側からは「祭祀法人として靖国神社を国の間接的管理下に置くことは、国家権力の民間への介入だ」と反対され、他の宗教法人からは「他と宗教法人として横一線だった靖国神社にだけ特別扱いを施し、戦前の国家神道へと引き戻すものだ」と非難されました。
国営のものを民営化する場合とちがい、民営のものを国営化するというのは、いくつかの銀行破綻の場合の整理のための少数例を除き、現在の自由主義・民主主義社会ではたいへんむずかしいことだと言えましょう。
- 一民間宗教法人の現状のまま、靖国神社もしくは神道全般に関する新たな特殊な法律を作るか、憲法20条を改正する。
宗教とは言いがたい面も多々ある神道全般と靖国神社の歴史と現在に至る矛盾とをふまえ、その特殊性から終戦記念日の首相の靖国参拝を特殊事情として特殊法案化するか、憲法20条の改正をし、そこに適用外条項として首相・閣僚の靖国参拝条項を挿入するというものです。
以上、4〜7は、いずれも「政教分離」を問題点の基礎に置く解決案であり、靖国のA級戦犯分祀論は、それ以降の段階で解決すべき問題となります。
- 首相・閣僚在任中は、靖国神社ほか、仏教・キリスト教ふくめあらゆる宗教施設に肩書きつき公費では一切出入りできない・連絡してはならないとの法案を作る。
「一律禁止」による解決の道筋であり、政教分離・A級戦犯合祀、双方の問題点ともクリアされます。しかしながら、これは政治側・宗教側ともに喜ばず、自主的に取り組むことはまずないと言えましょう。また、宗教の持つ教育的効果という側面を、一切見ない「ためにする法案にすぎない」との批判もまた、生まれてきましょう。
このように見てくると、つぎのような冷めた見方もできましょう。
「毎夏、首相の靖国参拝をめぐって行く行かないなどとカンカンガクガクやること自体が、近代から現在までの日本の矛盾をそのまま一つのダイナミズムにすることになるのだ、いわゆる戦前戦後相克のエネルギーとなっているわけだから、このまま毎夏ボコボコとたがいの陣営が未来永劫やりつづければそれでよいのだ、靖国はむろん、千鳥ヶ渕にも、政府主催式典にも天皇・皇室はご縁が深いのだから、全体としてこれが現代日本であると見ればよい」
現状・現実としては、上の「 」内ですべてでありましょう。
しかしながら、政治や宗教によらぬ、最も強い靖国へのモチベーションを持つ人々はいったい誰なのかを考えたとき、そうそう抽象的にこの問題を論じるわけにもいきません。それは、言うまでもなく、英霊と非常に近しい血縁の子孫の人々及び英霊とともに戦い、復員してきた「戦友」と呼ばれる人々です。世にあっては時は流れ、いくさの記憶はうすれ、年々リアルでなくなる、そうした人々にとっては残された人生の時間はあとわずかである----。
靖国参拝問題は、一部の人々にとっては、決して悠長にかまえることのできない重要な未解決問題だと言わなければなりません。また、われわれ後世の日本人にとっては、歴史・宗教・政治・法律・倫理・道徳といったおびただしい要素を含んだ最も困難な思想哲学上の現代の大問題だと言えましょう。
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